マーシャル・ガンツ博士講演会「新しいムーブメントの形」報告 講演録前半

■□■□講演録前半■□■□

嘉村:

ワークショップと講演会を急遽開催することになりました。突然の案内で時間を調整するのが大変だったかと思いますが、本日はお集まりいただきありがとうございます。今日はここにおられる120人が学びを共有できる場になればと思います。

進め方ですが、前半はガンツ博士の講演になります。テーマは「新しいムーブメントの形」。ガンツ博士が研究・体験していることを話していただいて、後半では日本でまさに今動こうとしているムーブメントの例として、3団体の活動紹介をしていただきます。その紹介が終わったあとで改めてガンツ先生のコメントをいただいて、「ムーブメントはどういう形で生まれてくるのか」という点について全体で探求していければなと思います。2時間半、かなり濃密ですが、楽しんでください。では早速、ガンツ先生にバトンをお渡しします。よろしくお願いいたします。

 

(会場:拍手)

 

ガンツ:

(日本語で)こんばんは。わたしはマーシャル・ガンツです。みなさんと一緒に取り組み、一緒に考えていきたいと思います。よろしくお願いします。

 

ガンツ:

今夜はリーダーシップ、オーガナイゼイション、アクションについてお話をするためにやってきました。とても嬉しいことであると同時に刺激的な機会でもあります。わたしの経験をみなさんと共有するのは嬉しいのですが、あくまでわたしの経験でしかないというのも事実です。それぞれの国にはそれぞれのリーダーシップ、共創的なアクションがあって、社会問題に立ち向かっていく。困難に向かっていく経験、それぞれの国で行なわれていることでしょう。ですから今日この機会は、まずはみなさんの理解を深めるのと同時にわたしの理解を深める機会でもあります。(日本語で)わたしは先生でもあれば生徒でもあります、よろしくお願いします。

 

(会場:拍手)

 

お話しするのはコミュニティオーガナイジングに関するリーダーシップです。わたしが提唱するリーダーシップというのは新しいものではありません。一世紀のラビが提唱した3つの質問から成り立っています。彼はわたしたちそれぞれが人生において何をするべきか尋ねました。この質問はじぶん自身のことだけではないです。

最初の問いは、「もし、わたしが自身のためにあるのでなければ、わたしは誰なのか」  これは自己中心的な質問ではなくて、自己尊重的な質問です。もしわたしが他者をリードしたければ、じぶんの価値観や資源を理解していなければなりません。

2つ目の問いは「わたしが自身のためだけにあるのなら、わたしは何か」。質問の指すところはわたしたちは物ではなくて、人である。わたしたちは他者との関係の中で生きているということを意味しています。わたしたちが目的を達成するための能力はこの他者との関わりの中にあると言えます。

3つ目の問いは「もし今でなければいつなのか」。橋から飛び降りろと言っているわけではありません。それは実際に行動を信じなければ達成するための術を学ぶことができない、ということを行っているのです。アクションをすることで学ぶんだ、ということです。わたしにとってリーダーシップとは3つの要素で成り立っているのです。じぶん自身、他者、そしてアクション。

 

重要な点はこのリーダーシップに関する要素を質問で投げかけていることです。考えてもみてください。どんな時にリーダーシップが必要でしょうか?すべてが上手くいって何も問題がない時でしょうか。それとも問題があって、どうしていいか分からない、何かをしなくてはいけなくて困惑している時――そういう時にこそ必要ではないでしょうか?リーダーシップとは予測不可能な時、どうしていいか分からない時に必要になってくるんだとわたしは考えています。

 

予測不可能な問題に挑戦する時には、まず自身がスキルを持っているかどうかというチャレンジがあります。2つ目のチャレンジは戦略のチャレンジです。わたしのもっている資源をどうやって問題解決のために新しい形で使うのか。そして、3つ目のチャレンジはどうやって問題に立ち向かうのか。心のチャレンジです。わたしにとっては「リーダーシップ」というのは頭、心と手、それぞれがきちんと対応されてからこそ発揮できるものと考えています。

 

リーダーシップのの定義は様々です。第一に責任を引き受けるということが必要です。他者が目標を達成するために責任を引き受けるということです。カリスマ性のあるスターでなければリーダーが務まらないというわけではありません。リーダーシップとは関係性に基づくもので、不確実な状況の中で一緒に目標を達成していこうという姿勢に依拠しています。リーダーシップは地位や権限の話と誤解されていますけれどもそうではありません。身近な職場やご近所の中でリーダーシップを発揮している方がいると思います。リーダーシップとは、物事をするやりたかであると考えています。神様から与えられた物ではなく、学べるもの、手法です。

 

コミュニティオーガナイジングというのは特定の形のリーダーシップと考えていただきたい。まずこういう質問から始まります。「わたしはだれか」ではなく「わたしの人々は誰か」。人々とはわたしがリーダーシップを発揮して関係を構築していきたいと思う人のことです。人々の直面している問題とは何か。しかも人々の経験から感じている問題とは何か。そして彼らが持っている資源を有効利用して、ほしい結果を手に入れるにはどうすればいいかということを考えていきます。

ですからオーガナイジングというのはサービスを提供する、ということではありません。英語の「client(クライアント)」はラテン語のcliēnsから派生した言葉で、「誰かに依存する」という意味です。オーガナイジングとはお客さんにサービスを提供するというスタンスではありません。お金を交換するという話ではなく、関係そのものを創っていくということです。

わたしたちの使うオーガナイジングとは「competency(コンピテンシー)(要確認conspirancyなのか、そうだとすればconspiracyに同士という意味はあるのか?)」を意味します。con-stireとは共に立ち上がる。なのでコミュニティオーガナイジグとは同志が共通の目標に向かって一緒に行動していくことを指しています。

 

わたしがこのリーダーシップにたいする理解を深めたのはちょうど50年前の1964年の夏、ミシシッピ・サマープロジェクトでボランティア活動に参加した時のことです。なぜ大学を3年次に中退してこの活動に参加したか、そこにはある理由がありました。カリフォルニアのレイカーズフィールドという農業が盛んな土地で育ったのですが、父はユダヤ教の宗教指導者ラビで母は教師をしていました。父はドイツに渡り、第二次大戦時のホロコーストから生き残った人を手助けする仕事をしていました。そこでわたしは人生が台無しにされて希望をなくしてしまった多くの人を目にしました。両親は彼らを見てこれはユダヤ人にたいする差別なのではない、「人種」にたいする差別だ、そう感じました。差別が人を殺したのです。これは複雑で理念先行の命題ではありませんね。

一方わたしのいたアメリカで日常的に行なわれていた人種差別に対抗するものとして公民権運動がありました。わたしの動機のひとつです。わたしはラビの息子として色んな宗教セレモニーに参加させられました。そしてそこで完璧であることを求められました。わたしは「Exodus(出エジプト記)」でユダヤ人が奴隷から解放されるストーリーが好きでした。セレモニー自体はたくさんご飯が出されてそれはそれで楽しかったんですけれども、大人たちは子供たちに「あなたたちはエジプトでは奴隷だったんだよ」と尋ねるのです。わたしはエジプトにも行ったことがないし、奴隷になったこともなかったのでとても困惑したものです。ストーリーを聞いてわたしが分かったことは、このストーリが世代を超えて語り継がれてきたこと、このストーリーから何を考えられるかを問いつづけてきたことでした。

ちょうど公民権運動の時にキング牧師もExodusに言及して、わたしも何かしなくてはと思っていました。当時は若者が社会を変革する運動を担っていた時代です。キング牧師は25才でしたし、他の活動家も18才前後でした。ブルーグマンという人物が世界を変えるためには2つの目が必要だと言いました。世の中の痛み批判的に見る目、そして希望を見る目です。若者は多くの場合、世の中にたいして厳しい目を向け、同時に希望に目を向けます。どんな歴史にも通じることです。わたしたちの時代にもやはり若者はいました。

 

 

わたしの政治的なキャリアはハーバード大学から始まりました。当時は住宅、バスなどの公共交通機関など、あらゆる場所で「白人はここ、黒人はここ」と分かれていました。慈善の観点から立ってみると、弱い立場にいる人たちにたいしてわたしは何を与えられるのだろうと考えます。ただ正義の観点から立って見ると、なぜこんなことが起こってしまっているのかやどうやったら解決できるんだろうかと考えます。問題の根本には黒人たちが投票権をもっていないこと、また農場で体賃金で働いているので経済的な力ももっていないことがありました。わたしはそんな中で黒人男性のことを「Mr.」と呼ぶのではなく、ファーストネームで何千回と呼びつづけていました。

往々にして状況を変えたい人にはパワーがなくて、状況を変えたくない人にパワーがあります。ではどうやってその力関係を変えていくか。パワーのある人のところに行けばいいのでしょうか。例えばワシントンD.C.に行って、「あなたのもっているパワーを少し分けてください」とお願いする。するとパワーを持っている人たち、政府関係者からは「じゃあ、データを下さい」と言われてしまう。こういう状況があるわけで、変化を欲している人たちは行動して変化の種を生み出さなければなりません。でもパワーはない。どうすればいいのでしょう。リソースとパワー、コミュニティにパワーがなくてもリソースがない、ということはありません。オーガナイザーのとしての役割はコミュニティがもつリソースを奇策に頼らずにどうすれば問題の解決に振り向けられるかという点です。

公民権運動ではアラバマ州でバス乗車のボイコットがありました。わたしは皆さんに公民権運動の歴史を教えるためにここに来たわけではありませんが、このバス乗車のボイコットが公民権運動の核となる活動だったので言及します。黒人は後部座席に、白人は前部座席に座って、その間には「どちらでもない」という席がありました。そこに座らせるかどうかの権限はバスの運転手がもっていました。武器をもった運転手の指示に従わないといけない、ということが来る日も来る日も行なわれていたのです。怒りは爆発しました。同時期に最高裁が学校での人種差別は違憲であると判決を下したので、アラバマでも何か変化が起こるのではないかと思われました。誰かを捕まえれば訴訟をおこせるのではないか。そこでローザ・パークスが逮捕されました。彼女は運転手の指示に従わず座った席から動くとしませんでしたが、それは疲れていたわけではなくて、彼女の戦略の一部だったんですね。彼女が逮捕されてから黒人コミュニティは裁判を見守るのではなく、彼女を助けるために何か具体的な行動をとらなくてはいけないのではないかと考えました。そこで月曜日に乗車ボイコットをしようと決めたのですが、果たして黒人全員が賛同してくれるかどうか疑問が残りました。なぜならコミュニティには信頼感も一体感もぜんぜんなかったからです。しかしキング牧師は「月曜日にはどんなバスであれ乗車することのないように」と訴えたのです。夜みんなで集まって、コミュニティとして人種隔離政策が見直されるまでこのボイコットをつづけていこうと。そう話し合いをしてからコミュニティに変化が出始めたのです。政府のようなパワーをもっている存在に目を向けるのではなく、リソースはどこにあるのか、じぶんたちの足下を見るようになりました。そこには「足」というリソースがあった。バスに乗るのではなくて「足」で歩くことでバス会社に影響を与えようとしたのです。バス会社は黒人がバスに依存する以上に黒人のバス運賃に依存していましたから。

 

このバス乗車ボイコットから分かることは、じつは「普通」の人々がリソースをもっているということです。どんな社会システムや法律の下であれ、抑圧するには抑圧される側の強力が必要になります。何も深い洞察というほどのものでもありません。じぶんの手や足や座るという行為をとおして、変化を生み出すパワーは生み出すことができるということに人々は気がついたのです。わたしにはとても衝撃的なことでした。じぶんたちのリソースを活かして変化を起こす。そのためにはリーダーシップのスキルが必要で、スキルがあれば一緒に行動して変化を起こすことができるということが分かりました。

 

ミシシッピの活動から離れたあとハーバード大学には戻らずに、カリフォルニアで農場労働者の、特にメキシコ人労働者の多いブドウ農園で労働組合を組織しようと活動していたシーザー・チャベスのもとに駆けつけました。わたしは地元であるミシシッピで人種差別があることを知らずに育ち、カリフォルニアに行って初めて、中国人やメキシコ人などの有色人種が人種差別に苦しみ、投票権はなく、経済的に困窮していることを目の当たりにしました。カリフォルニアでも人種差別はひどいもので、古くは中国人への差別に始まり、第二次世界大戦時は日本人も強制収容所に入れられたりと差別の歴史がありました。つまいりこの人種差別という問題はなにもミシシッピだけのものではなくて、アメリカ全体の問題であるということが分かったのです。1981年までシーザー・チャベスと10年近く活動を共にしました。

 

選挙キャンペーンにも10年ほど関わっていたのですが、ハーバード大学から同窓会の連絡が来ました。ドロップアウトした元学生の中には事業で成功した人もいますね。わたし自身は大金持ちではありませんでしたが、同窓会に行くことにしました。なぜなら行き詰まりを感じていたからです。学校に戻るべきではないか。この30年間学費が高騰している、みたいな話を学長としたりして、91年に大学に戻ることにしました。学士に必要な論文を書いて92年になんとか卒業しました。81歳の母はとても喜びました「やっと息子が大学を卒業した」と。修士大学院のケネディスクールに通うようになり、博士号を社会学で修めました。博士号取得の時期にスクールでオーガナイジングについて講義をしてくれないかと頼まれました。わたしにはこの「教える」ということが大きな贈り物だったんですね。じぶんの人生で培った経験と社会科学をあわせて次の世代に伝えるということができる機会だったからです。毎回教室に行く度に未来と会話しているような気分になりました。オーガナイジングをどうやって教えていくかが重要になりました。人がどのようにしてスキルを身につけて実践していくことを手助けできるか。それはわたしの公民権運動での活動でも大切な要素だったからです。2000年にハーバード大学の教授になってから、春にはオーガナイジングを教えて、秋にはコミュニティナラティブ、ストーリーテリングを教えるようになりました。オンラインコースとして25カ国の人々にもオーガナイジングを教えています。秋のクラスでは130人の学生が31カ国から参加してくれたんですね。まるで世界そのものと話しているような感覚です。

時にはオーガナイジングから離れそうにもなりましたが、生徒が逆にわたしをオーガナイジングの世界に引き戻してくれました。2003年にはハワード・ディーン議員を応援して選挙活動を手伝った生徒がいました。わたしはアドバイザーとして呼ばれました。その時にオーガナイジングの手法を利用した選挙キャンペーンを考え出しました。その時のアイデアを2007年のオバマ大統領の選挙活動に使って、草の根で候補者を勝利に導く、ということをやりました。こんなふうに生徒がオーガナイジングの考えを世界中に拡散してくれていて、この日本でも鎌田華乃子がコミュニティ・オーガナイジング・ジャパンという団体を立ち上げてくれました。長い文だったのに素晴らしい翻訳だったので、みなさん拍手してくださいますかx。

 

(会場:拍手)

 

 

次にオーガナイジングとリーダーシップに関するフレームワークについてお話をしたいと思います。わたしの言うリーダーシップとはまずコミュニティを作り上げて、そのコミュニティからパワーを引き出すことを指します。5つのコアの実践を定義付けています。関係構築、そして組織作り――これらの実践は心や手を駆使します――、戦略、アクション。

 

関係構築というのはオーガナイジングする上で本当に欠かせない要素です。これは単なる個人の集まりではありません。SNSでみんながクリックする関係性と言うよりは、お互い関係を作り成長し、学び合い、コミットしあうというという状態が大事なのです。そして一番大事なのは価値観を共有しているということです。よく誤解されがちですがmoblizing(動員)とorgnaizing(組織化)とは違います。動員と言えば、SNSに触発されて大挙してタハリール広場に集まったあのエジプトの若者たちの行動を指します。このエジプトで残念だったことはその場で関係が構築されなかったために戦略を考え維持していく活動につながらなかったことです。動員によって変化は起きましたが、オーガナイジングされなかったために若者でなくまずムスリム同胞団が、のちには軍隊と、既存の組織が利益を受け取ることとなりました。ブラジルやトルコなどでもインターネット署名を集める活動が行われていますが、変化にはつながっていません。インターネットが悪いというわけではありません。わたしは世界中の生徒に教える手段としてインターネットを利用しています。問題はインターネットが動員にのみ使われていて、動員したあとどうやって変化が生まれる環境をつくっていくかが重要なのです。

 

関係とはとても力強いものです。

オバマキャンペーンの時、サウスキャロライナでは反対派が既存の組織をもっていました。わたしたちには組織と呼べるものはなくて、0から始めなければなりませんでした。わたしたちはハウスミーティングという手法を使いました。誰かがホスト役になって友達数人を呼んである問題について話し合う、今度はそこに呼ばれた人が新たなホストになってまた友人数人を呼んでもらって話し合う。それを繰り返し繰り返しやっていくことで、短期間で何千人もの人に呼びかけることができたのです。予備選挙時までに300回のハウスミーティングを重ねることで5万人のボランティアを獲得することができました。

みなさん、「関係?新しいくもなんともないじゃないか」と思われるかもしれません。そう、普通にやっていることでしょう。わたしが言いたいのはオーガナイジングというのは注意を払って何となくやっていることを明確に意識してやっていくこと。それによって行動は「技」になり、さらに技が磨かれていくということです。

 

 

次は心について。

わたしたちが価値を感じているものにたいして感情的リソースを使って、恐怖ではなくて、勇気を持って立ち向かえるようにすることが大事です。これをパブリックナラティブと呼んでいます。皆さんの中で物語を聞いたり、語ったりしたことはありますか?誰かと関係を持ったことがある人はいますか?物語を語ることと関係を持つことにはつながりがあります。物語を語ることは感情に働きかけて挑戦にたいして勇気をもって立ち向かうことを促します。物語の筋を思い起こしていただくと、主人公というのは大抵困難に出会います。みなさんはそのストーリーを聞いて主人公に感情移入していくんですね。そして物語を経験した気持ちになって、そこに生まれる感情に触れます。物語は親が子に語ることが多いわけですが、それは子供たちを忙しくさせようとして語っているわけではありません。なので、両親が子供に物語を語って聞かせるのは、人生の困難にどうやって立ち向かっていくのかを教えるためにするのです。親戚の中に上手くいっている人とそうでないひとがいますよね。そういう人たちの話をして、どうやって人生の困難に立ち向かっていくかを教えるのです。あらゆるものはすべて物語をとおして伝わっていきます。物語があるからこそ、次の世界に立ち向かうための能力を高められるのです。価値観というのは抽象的な言葉に聞こえがちですが、そうではなくて感情的なコミットのことなんですね。

 

この会場にいるみなさんも、痛みや辛いと感じた経験をされたことがあると思います。同時に希望を抱きつつ、その中でも社会を変えたい、世の中を良くしたいと考えておられることでしょう。じぶん自身に強く働きかけるだけではなくて、話すことで他者をも啓発する物語をここにいるみなさんももっています。この物語の語り方をわたしは構造化しています。パブリックナラティブ、公に語る物語と呼んでいます。3つの構造があります。まず、なぜみなさん自身がその問題に取り組んでいるかを語る、次に聞き手みんなが共有する価値観を語る、そして今行動しないと行けないという緊急性を語る。

オバマキャンペーンの時に一番初めにあるのはオバマの物語なんですね。でも、わたしはオバマの物語ではなく「あなた」の物語を語ってくださいとお願いしました。なぜなら支援者ひとり一人が「なぜじぶんがそのことにたいして問題意識をもっているか」ということを説明できないと他のひとは共感しないからです。なのでオバマケアがどういう物語なのかを語るのではなくて、なぜオバマケアをじぶんが必要とするかを話してくださいと呼びかけたのです。

物語を語ることとは、「なぜこれに今取り組まなければならないのか」ということを語ることでした。その次に戦略。どうやってその問題に取り組んでいくか。とても簡単な表現ですが、わたしたちがもっているものをわたしたちがほしいものに変えていく力をどうやって手に入れるか、ということです。アラバマでのケースを思い返してみてください。黒人たちはみずからの足を使ってバスをボイコットすることで経済的な力を創り出し、バス会社に対抗したのです。これこそ戦略です。

豊富なリソースをもつ現状を維持しようとする人たちに対抗して変化を起こしていくには、じぶんたちがもっているリソースをいかに賢く創造的に強い動機をもって取り組んでいく必要があります。戦略を考えるにはパワーにたいする理解が必要です。パワーとはとてもシンプルです。もしわたしが皆さんのリソースを皆さん以上に必要な場合、どうすればいいのでしょうか。わたしのほうがパワーをもっていますので、あなたに影響を与えてあなたのリソースを奪うことができるかもしれません。この関係性をひっくり返すこともできます。パワーとは物事ではなく関係性です。なので、わたしも皆さんも両方ともがそれぞれのリソースが必要だ。両方のリソースをあわせて何かできる場合は一緒に何か問題に向かって立ち向かうことができるのです。

どちらか一方のみが変化を起こすリソースをもっている場合もあります。アラバマではバス会社がパワーをもっていましたが、黒人たちにはそれがありませんでした。黒人たちはみんなで行動することによって、「バス会社は黒人が払う運賃に頼っている」という状況を作り上げたんですね。こうして新たなパワーを生み出して、変化を起こしたのです。特にビジネスの世界では人はコストとして勘定されますが、オーガナイジングの世界では人は資産と捉えます。お金に頼らずに、人に頼って、その人たちがもつリソースを使って活動することでオーガナイジングはより一層力強いものとなっていきます。

 

 

次はアクション、スキルに関して。

オーガナイジングは結果を出すことが何より重要だと学校で習いました。問題を解決するための具体的な変化が起きているか。例えば集会で人が集まった、寄付をした、投票したとか。そのキーワードはコミットメント、「重要な約束」と訳されます。そのコミットメントがあることで、「やりとげよう」という意思が生まれていくわけです。ビジネスの世界ではお金を払って何かをやってもらうわけですが、オーガナイジングの世界では誰かに無償で行動してもらう。それはとても難しいことです。「来週、集会があるから来てくれないか?」「ああ、検討してみるよ」とよく返事が返ってきます。でもそういう返事をした人って実際には来ないですよね。社会学者のアーヴィング・ゴッフマンはこう表現しました。シャツにしみがあったとしてもみんな見ない振りをする、と。そういうことは往々にしてあると思うんですけど、人は恥ずかしい思いをすることをお互いに自然と避けようとするものです。ですので、誰かに「時間をください」「エネルギーを分けてください」「リソースを提供してください」というのはとても勇気がいります。でもとてもシンプルで答えは「Yes」か「No」、これが重要です。本当のコミットメントをとることと、そのコミットメントを補強していく行動が大事になってきます。

 

 

最後、構造について。

「構造」という言葉を聞くと、誰か一人が上に立ってみんなに「あれをやれ」「これをやれ」と指示していく、そんなイメージをもたれるかもしれません。こうしたトップダウンの構造は多くの問題を生み出します。メンバーのリソースを奪い、創造的に貢献してくれる人の意欲を奪います。地域地域にあわせた取り組みを進めていく上でもよくありません。反作用として「組織なんていらない」「構造なんてまっぴらごめんだ」と思って銘々が好き勝手に行動してしまう、なんてことも起こりえます。ウォール・ストリートを占拠したOccupy Centralという一連のムーブメントには組織や構造といったものは皆無でした。意思決定もできないし、戦略も決められない。「占拠する」という戦術以上には活動は発展しませんでした。

オバマの大統領選挙キャンペーンでは協力的・分散型のリーダーシップに力を入れました。これはニューヨークにあるオルフェウス室内管弦楽団の考えから着想を得ました。彼らの特徴は部品のように動かされることを嫌って指揮者をなくした点です。コンサート全体の企画をするチーム、演奏項目を決めるチーム、色んなチームを組織化していきました。演奏者ひとり一人が能力を最大限発揮できる環境をつくったのです。演奏はとても美しいものです。

大事なのはコアとなるようなリーダーシップ・チームをつくることです。協調的で、責任を分担できて、目標にたいして明確な役割をそれぞれがもっている。このリーダーシップ・チームの面々がさらに別のチームをつくっていく。またそこから新たなチームをつくっていって、そういうふうに組織を重ねていきながら、中心から外に広がっていくような組織作りをしていくんですね。わたしの生徒がこのプロセスを指して「snowflake leadership(雪の結晶リーダーシップ)」と呼びました。この方法で組織化していけば、多くの人がそれぞれのレベルでリーダーシップを発揮できます。わたしたちが目指しているものです。

 

リーダーシップに関する5つの実践について話してきました。ストーリーを語る、関係、戦略、組織化、そしてアクション。これにもう1つ重要な要素「時間」を加えます。ある学者によれば時間の捉え方は大きく2つに分かれます。継続的に繰り返すものと変化を生み出すものとにです。変化を生み出す時間のことを「矢のような時間」と言いますが、わたしの考えるオーガナイジングもこの矢のような時間に近いです。ひとつの方向に向かってみんながリソースを動員して、緊張感を高めて進んでいく。そうしてゴールに突き進む中で新しいリソースをどんどん生み出していくのです。

またリーダーシップを開発し育てていくことはとても大事なことです。先ほど申し上げた5つの実践を参加者みんなが身につけていけるようにしなければなりません。身に付いて初めて人々はじぶんが何をやっているのか、どんなパワーをもっているのかを明確に理解していくのです。週末にちょろっとやっただけでは5つの実践は身に付きません。毎日努力してやっと身に付くものです。身に付けば問題を本当に解決する能力を手に入れることができます。

 

最後にもう一度みなさんに申し上げたいこと。冒頭話した3つの質問にすべては還るということです。1つ目の問い「もし、わたしが自身のためにあるのでなければ、わたしは誰なのか」、つまりわたし自身がもっている価値観や資源を認識すること。2つ目の問い「わたしが自身のためだけにあるのなら、わたしは何か」、つまり人間が他者の中で生きていくということの難しさを表しています。3つ目の問い「もし今でなければいつなのか」。この3つの問いにわたしのリーダーシップは収斂されていきます。ありがとうございました。

 

(会場:拍手)

 

 

嘉村:

ガンツ博士、ありがとうございました。50才になってから大学に入られて、こういう研究と活動をされているのは本当にすごいなと思います。昨日から12・3時間ワークショプをやってきたすぐあとで、本日これだけのことをお話しされて大変驚きました。

連続でやりますと少ししんどいと思いますので、今から5分ほど休憩をとります。そのあと、日本の事例を紹介して、今の枠組みの中から分析やコメントをガンツ博士からもらいたいと思います。

また今日はグラフィックレコーディングということで、会場後ろの模造紙に今話していただいた内容を日本語でまとめております。聞きそびれた、よく分からなかったという方は見ていただけると復習になるのではないかなと思います。では、5分後再開します。お疲れさまでした。

 

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